2017/12/04 23:20

引越しをする度にいろんな持ち物を捨てるようになり、結局日本を離れるというときには本当にもうほぼ全てのものを捨ててみたら、結局やっぱり必要なものなんてなんも無いんだなってことを実感しました。

なんかそういうのってとても大げさに言ってしまえば、死生観にまでたどり着くんじゃないのかなと思ったりして、現在うちの両親も終活というやつなのか、本当にいろんなものを処分して、昔のアルバムも全てスキャンしてそれをデータ化し、アルバムとそこに貼られている写真もどしどし処分してるのを見ていると、あぁ気持ち良いだろうなぁとちょっと思ったりします。

で、これタイトルの通り、真面目なような面倒臭いはなしなんだけど、10年以上前にヨーロッパにいたときに、アッシジのフランチェスコの話を見たか聞いたか読んだか忘れたんだけど、僕は無神論者だけど多分それにすごい影響を受けて、結局のところそのフランチェスコって人は「何も持たない」というスタイルで布教活動を行っていて(うろ覚えだけど)、着ている服も全て借り物で、それをつぎはぎだらけで着ていたってのを知って、20代の僕は「あぁ、なんか全ては借り物なんだよなー」って感覚として思った記憶があって、なのでそれ以降なのかそれ以前からなのかはわかんないけど、使っているものもなんだか全て借り物を使っているようなそんな感じで生活するようになったような気がします。

だから、なのかは知らんけど、僕はきっととても刹那的な人への憧れが強くて、どうしようもねぇなぁって感じの人たちへの貪欲な無欲さみたいなものって、良いよなーって思ったってことを、なぜかネットショップのブログにこうして長々と書いたりしています。